東京高等裁判所 昭和52年(ネ)2030号 判決 1979年5月29日
控訴人 有限会社山岸酒店
右代表者代表取締役 山岸栄一
被控訴人 株式会社太陽神戸銀行
右代表者代表取締役 塩谷忠男
右訴訟代理人弁護士 高橋龍彦
主文
本件控訴を棄却する。
控訴費用は控訴人の負担とする。
事実
控訴人は、「原判決を取消す。被控訴人は控訴人に対し金一五四一万円及びこれに対する昭和四八年一一月二七日から完済まで年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。」との判決並びに仮執行の宣言を求め、被控訴代理人は、主文第一項同旨の判決を求めた。
当事者双方の主張並びに証拠の関係は、次のとおり付加・訂正するほか、原判決事実摘示のとおりであるから、これを引用する。
一、控訴人の主張
(一)原判決請求原因3(一)に「被告会社桐生支店長は、職権により原告会社に無断で訴外銀行桐生支店の丸山を通じ、訴外群馬酒販桐生支店長に右小切手の依頼返却手続をなさしめ」とあるのを、「被控訴会社桐生支店長伊藤次郎は、職権を利用して訴外株式会社足利銀行(以下「足利銀行」という。)桐生支店の丸山新吉と打ち合わせ、あたかも右丸山が被控訴会社桐生支店に対し、本件小切手につき交換後依頼返却の申出をしたかの如く装い、みずから本件小切手に右丸山からの依頼による返却なる旨の付箋を添付のうえ、依頼返却の手続きをし、本件小切手を持出銀行である足利銀行桐生支店に返却して」と訂正する。
(二)控訴人は、昭和四四年四月一日午前九時三〇分ころ被控訴会社桐生支店において、同支店担当者から現金一七〇万円のほか、同支店長振出の振出日を同日とする額面一五〇万円及び一〇〇万円の自己宛預金小切手二通を受領したのであり、その際右担当者との間で、右額面一五〇万円の小切手は訴外群馬県卸酒販株式会社(以下「群馬酒販」という。)桐生支店に、右額面一〇〇万円の小切手は長野県の訴外土屋酒造にそれぞれ交付して買掛代金の支払に充てる旨を打ち合わせた。
(三)控訴人の代表者代表取締役山岸栄一は、右同日、かねて愛人関係にあった訴外甲子と別れ話をするため、同人と水上温泉に旅行して宿泊し、翌四月二日午後一一時ころ帰宅した。
ところが、被控訴会社桐生支店長代理増田誠次らは、右四月一日午前一〇時三〇分ころ山岸栄一が金を持って女と家出したと速断し、栄一の妻訴外一江に対し「控訴会社の代表者の改印届を速やかにした方がよい。預金も払い戻しができないように保全措置を講じたらどうか。」などと申し向け、右一江をして翌四月二日右代表者の改印届をさせたうえ、翌四月三日控訴人所有の土地建物につき群馬酒販を根抵当権者とする元本極度額一二〇〇万円の根抵当権設定登記を経由させた。
(四)控訴人は、群馬酒販と折衝して、同年四月九日、群馬酒販との間に右根抵当権の極度額を三〇〇万円と変更すること等を合意し、直ちに群馬酒販桐生支店長近藤駿と共に被控訴会社桐生支店に赴き、同支店長伊藤次郎に対し「群馬酒販と解決ができたので、よろしく応援して下さい。」と挨拶したところ、伊藤支店長はこれを了承した。
ところが、控訴人が同月七日群馬酒販桐生支店から仕入れたアサヒビールの代金二万四七一二円の支払のために振出した本件小切手が、同月一四日足利銀行桐生支店から群馬酒販桐生支店に返却されたので、群馬酒販桐生支店は、控訴人の営業が急激に悪化したものと判断し、同日午後控訴人の店舗にあった全商品(一一〇万七九三三円相当)を強引に引き上げた。
(五)控訴人は、予期しない異常な事態が発生したので、とにかく現金を所持していなければ事後処理ができないものと考え、知人である訴外柳沢高吉に依頼して、被控訴会社桐生支店長振出の前記小切手二通(額面合計二五〇万円)の取立てを委任し、同年四月一六日これを現金化した。したがって、被控訴会社桐生支店が控訴人に融資した三〇〇万円のうち二五〇万円は、現実には右同日まで同支店から出金していなかったのであり、また、控訴人が同月四日から同月一五日までの間に群馬酒販桐生支店に対し、同支店から仕入れた商品の代金として一一〇万六四五七円の現金支払をしているのであるから、控訴人には被控訴人主張の融資約定違反がなかったのである。
(六)また、控訴人は、同年一一月二〇日被控訴会社桐生支店に対し元利合計三六〇万三三〇四円を弁済し、同支店には損害を与えていないのであるから、被控訴会社のした控訴人との間の銀行取引契約の解除は差し迫った情況のもとになされたものでなく、その要件を欠くものであって、無効である。
要するに、被控訴会社桐生支店は、本件小切手の小切手金を小切手呈示の日に支払う義務があったのに、その支払をしなかったのであるから、債務不履行による損害賠償の責任を免れない。
二、被控訴代理人の主張
(一)原判決八枚目表四行目に「同月二日」とあるのを「同月三日」と訂正する。
(二)控訴人主張の前記一の(一)の訂正に係る事実は否認する。
同一の(二)のうち控訴人が控訴人主張の日被控訴会社桐生支店から控訴人主張の現金及び小切手二通を受領した事実は認めるが、控訴人は、同支店から融資を受けた三〇〇万円を含む四二〇万円を右主張の日に払い戻したうえ、そのうちの二五〇万円については被控訴会社同支店長振出の自己宛預金小切手二通に組み替えられて控訴人がこれを受け取ったものであり、右小切手二通の使途については前記三〇〇万円の融資に当たってと同じく、控訴人が群馬酒販桐生支店の買掛金支払のため振出す旨約定されたものであって、その余の控訴人主張事実は不知である。
同一の(三)のうち控訴人の代表者山岸栄一が控訴人主張の日甲子と旅行に出た事実は認めるが、右山岸栄一の旅行先、帰宅日時は知らないし、その余の事実は否認する。
同一の(四)のうち本件小切手が群馬酒販桐生支店に返却され、同支店が控訴人の店舗から商品を引き上げた事実は認めるが、控訴人と同支店との間に控訴人主張の合意が成立した事実は知らないし、その余の事実は否認する。
同一の(五)のうち控訴人主張の小切手二通が控訴人以外の者から呈示された事実は認めるが、控訴人に融資約定違反がなかったという主張事実は否認する。
同一の(六)の事実は否認する。
三、証拠<省略>
理由
当裁判所は、当審において新たに取り調べた証拠を総合しても、控訴人の本訴請求は失当であると判断するものであって、その理由は、次のとおり付加するほか、原判決がその理由において説示するとおりであるから、これを引用する。
一、当座預金五五万一六四〇円を別段預金口座に振り替えたことについて
(一)引用に係る原判決の説示(一二枚目表一行目から一三枚目裏一〇行目の「右認定に反する証拠はない。」まで)によれば、(1)控訴人は、昭和四四年三月末日ころ群馬酒販桐生支店に約三〇〇万円を支払わなければならなかったので、同月二八日(原判決一二枚目表九行目に「二七日ころ」とあるのを訂正する。)から、被控訴会社桐生支店を訪れて融資方を申し込んでいたところ、同支店は、同月三一日、貸付金の使途を控訴人の群馬酒販桐生支店に対するビール等の仕入代金の支払に充てるものとする約定のもとに控訴人に三〇〇万円を貸し付け、右貸付金から金利を差し引いて二九三万六二二〇円を控訴人の当座預金口座に振り込んだ。ところが、控訴人の代表者山岸栄一は、同年四月一日、被控訴会社桐生支店の右当座預金口座から四二〇万円の払い戻しを受け、これを所持したまま(ただし、当審証人伊藤次郎の証言によると、右山岸栄一は右四二〇万円のうち二五〇万円を、振出人及び支払人を被控訴会社桐生支店長とする額面一五〇万円及び一〇〇万円の自己宛預金小切手二通に組み替えてもらい、同支店から現金一七〇万円と右小切手二通を受領した事実を認めることができるから、右山岸栄一が所持していたのは現金一七〇万円と右小切手二通である。)、家族に無断で愛人の甲子と温泉へ出掛けた。被控訴会社桐生支店では、同日、右山岸栄一が現金一七〇万円と右小切手二通を所持したまま行方不明になったことを知り、直ちに同支店長代理増田誠次らを控訴人の店舗へ赴かせ、善後策を講じようとしたが、右増田誠次は、控訴人が被控訴会社との間に締結した銀行取引契約に係る約定書の第二条、第四条の規定に該当する事由が生じたものと判断し、その場で控訴人の取締役である山岸一江及び監査役である山岸マサに対し、被控訴会社桐生支店が債権回収のため預金を確保する手段を講ずる旨を口頭で告知したうえ、同支店は、同月三日、控訴人に対する債権回収を保全する処置として、控訴人の当座預金の残高全額である五五万一六四〇円を貸付案件口である控訴人の別段預金口座に振り替えた。(2)右銀行取引契約に係る約定書において、控訴人は、被控訴会社に対し、控訴人の債務不履行のとき、又は履行困難と被控訴会社において認めたときは、控訴人の被控訴会社に対する一切の債権は、通知を要しないで被控訴会社に対する一切の債務に振替充当されても異議がない(第二条)、控訴人が被控訴会社に対し不利益な行為をしたとき、控訴人に債務不履行のおそれがあると被控訴会社において認めたときは、控訴人は、通知又は催告を要しないで期限の利益を失いすべての債務を一時に弁済する(第四条第四号、第七号)旨約定した、というのである。
(二)控訴人は、四月一日被控訴会社桐生支店から交付を受けた額面一〇〇万円の小切手一通の使途としては控訴人が訴外土屋酒造に対する支払に充てることを打合せのうえ被控訴会社同支店長によって振出されたものであったと主張するが、右主張事実を認めるに足りる証拠はない。
また、控訴人は、同支店長代理増田誠次が同日山岸一江に代表者の改印届をした方がよいと申し向け、右一江をして翌二日代表者の改印届をさせたと主張するが、右主張事実を認めるに足りる証拠もない。かえって、<証拠>によると、控訴人は、被控訴会社桐生支店との間の取引関係においては、同支店に対し控訴人の代表者の改印届をしなかった事実を認めることができる。
なお、控訴人は、同年一一月二〇日同支店に対し元利合計三六〇万三三〇四円を弁済したと主張するが、右主張事実を認めるに足りる証拠はなく、かえって、<証拠>によると、訴外野本幸男が右同日被控訴会社に対し確定債権三六〇万三三〇四円を控訴人に代位して弁済した事実を認めることができる。
(三)引用に係る原判決の前記説示(一二枚目裏七行目)によれば、控訴人の代表者山岸栄一は同年四月二日午後一一時すぎ自宅に帰ったというのであるが、右山岸栄一が右帰宅後事態の収拾策を講ずるため時日を置かずに被控訴会社桐生支店との間で折衝を始めたという事実を認めるに足りる証拠はなく、原審および当審における証人伊藤次郎の各証言によると、被控訴会社桐生支店は、調査の結果、控訴人が払い戻した四二〇万円のうち前示現金及び預金小切手二通のいずれによっても群馬酒販桐生支店に対する支払がなされておらず、控訴人代表者山岸栄一が前示のごとく右現金及び小切手を所持したまま行方不明となっていることを知って、控訴人に対する前示貸付金が貸付けに当たって約定された使途とは異なる支払に費消されるおそれがあり、この状況下で同年四月三日の時点において既に右貸付金債務の履行困難な事態が生じているものと判断し、同日、貸付金債権の回収を保全する処置として控訴人の当座預金残高を別段預金口座に振り替えた事実を認めることができ、右認定を左右するに足りる証拠はない。
(四)以上の事実によれば、被控訴会社桐生支店が右状況下の右時点において控訴人に対する前示貸付金債務が履行困難な事態にあると判断したことは相当であり、これは控訴人との間の前記銀行取引契約に係る約定書の第二条の規定に該当する場合であるということができるから、同規定に基づき控訴人の当座預金残高を控訴人の別段預金口座に振り替えた被控訴会社桐生支店の処置は正当であって、この点に債務不履行を問うべき余地はないものといわなければならない。
二、本件小切手の依頼返却手続について
(一)引用に係る原判決の説示(一〇枚目表七行目から一一枚目表六行目まで)によれば、本件小切手すなわち、額面二万四七一二円、支払人被控訴会社桐生支店、支払地及び振出地桐生市、振出日昭和四四年四月七日、振出人控訴人の小切手一通(甲第二号証の一、二)は、群馬酒販桐生支店が足利銀行桐生支店に対し取立委任のためこれを交付し、同年同月九日右足利銀行桐生支店が支払人である被控訴会社桐生支店に対し支払のためこれを呈示したものであるが、群馬酒販桐生支店から足利銀行桐生支店に対し右小切手につき依頼返却の手続をとることが要請され、足利銀行桐生支店(担当者丸山新吉)が被控訴会社桐生支店に対し右小切手の返却を依頼したため、被控訴会社桐生支店としては当時すでに控訴人の当座預金残高がなかったのであるが、右小切手につき不渡りの手続をとらず、右依頼に応じてこれを足利銀行桐生支店に返却した、というのである。
(二)控訴人は、被控訴会社桐生支店長伊藤次郎が、本件小切手につき依頼返却の申出がなかったのに、職権を利用し、足利銀行桐生支店の丸山新吉と打ち合わせて、あたかも持出銀行の右丸山が依頼返却の申出をしたかの如く装い、みずから本件小切手に右丸山からの依頼により返却する旨記載した付箋を添付して、右小切手を足利銀行桐生支店に返却したと主張するが、右主張のごとき伊藤支店長の職権利用による依頼偽装の返却の事実を認めるに足りる証拠はない。もっとも、<証拠>を総合すれば、本件小切手の支払呈示を受けた被控訴会社桐生支店の担当者が振出人である控訴人の当座預金残高がなく銀行取引契約上支払に応じられないことに気付いたが、振出人の信用保持上、不渡り手続をとるよりは依頼返却の手続をとることの方が良いと考え、同小切手の持出銀行である足利銀行桐生支店の担当者丸山新吉にその旨伝えたところ、丸山が取立委任者である群馬酒販桐生支店の出納係に右旨を伝え同支店の意向を聞いたうえで被控訴会社桐生支店の担当者に返却を依頼したため、被控訴会社同支店としては前示のごとく不渡りの手続をとらず、依頼返却の手続をとるに至った経緯を認定することができるけれども、この認定事実によってしても、右伊藤支店長が控訴人主張のごとく職権を利用し返却依頼がないのにその依頼があったように装ってその手続をとったという前記主張事実を推認することはできない。
また、控訴人は、昭和四四年四月九日群馬酒販桐生支店長近藤駿と共に被控訴会社桐生支店に赴き、同支店長伊藤次郎に対し前示控訴人主張(四)に記載のような挨拶をしたところ、同支店長はこれを了承したと主張し、原審における控訴会社代表者山岸栄一尋問の結果のうちには右控訴人主張事実に符合する部分があるけれども、右供述部分は原審及び当審証人伊藤次郎の各証言と対比して信用することができず、他に右主張事実を認めるに足りる証拠はない。(証拠判断省略)。
(三)以上の事実関係によって考えれば、被控訴会社桐生支店が本件小切手の支払をせず、足利銀行桐生支店の依頼により依頼返却の手続をとり、これを同支店に返還したことは、控訴人・被控訴会社間に締結された前記銀行取引契約(乙第一号証)及び当座勘定取引契約(乙第二号証の一、二)に基づく約定に違背するものでなく、その点において、被控訴会社に控訴人主張の債務不履行を問うべき余地はないものというべきである。
(四)なお、控訴人は、被控訴会社桐生支店長振出の前記預金小切手二通(額面合計二五〇万円)が取立委任により現金化されたのは同年四月一六日であって、控訴人の借受けた三〇〇万円のうち二五〇万円は右同日まで同支店から出金していなかったのであり、また、控訴人は同月四日から同月一五日までの間に群馬酒販桐生支店に対し仕入商品代金として一一〇万六四五七円の現金支払をしているのであるから、控訴人には融資約定違反はなかったと主張するが、被控訴会社桐生支店が同年四月三日の時点において前判示の状況下で貸付金債務が履行困難であると判断し、前記約定の規定に基づいて控訴人の当座預金残高を別段預金口座に振り替えた処置は正当であり、したがって又、控訴人の当座預金残高がなかったため本件小切手の支払をせず、依頼返却の手続をとった点に被控訴会社の債務不履行を問うべき余地はないと判断できることは前示のとおりであって、自己宛預金小切手を振出し交付した銀行としては事後正当な所持人からの呈示に対し支払を拒むことはできないのであるから、四月三日の時点でまだ現金化されていなかったとしても右判断に影響を与えることにはならないし、同日以降控訴人主張の金額が群馬酒販桐生支店に対し支払われた事実が認められるとしても、右判断に消長を来たすことにはならない。
三、群馬酒販桐生支店が昭和四四年四月一四日控訴人の店舗にあった商品を引き上げた事実は、当事者間に争いがないが、同支店のした右の行為につき被控訴会社に何ら責を負うべき点がないことは、引用に係る原判決説示(一四枚目裏七行目から一五枚目裏三行目まで)のとおりである。
したがって、控訴人の本訴請求は、その余の点について判断するまでもなく、これを棄却すべきであって、原判決は相当であり、本件控訴は理由がないから、これを棄却することとし、控訴費用の負担につき民事訴訟法第九五条、第八九条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 安倍正三 裁判官 長久保武 加藤一隆)